2011/05/09

+気をコントロールする+_ラスカル39号



わたしたちの住んでいる世界には目にみえるものと、
目にはみえないものが存在しています。


学んでいるある人は”目にはみえないものの存在”を
「気」、他のある人は「エネルギー」といったりします。


例えば
「やる気」、「元気」、「好意」、「悪意」


「やる気」、「元気」は気の持ち方。
「好意」、「悪意」は、想い、想念エネルギーといえるでしょう。


そして、
そういったエネルギーは目にはみえませんが、
わたしたちの住む世界に大きな影響力を持っています。



元気がない人は、エネルギーが少なくなっているといえるでしょう。
やる気のある人は、気持ちが充実しているといえるでしょう。


どのエネルギーが、充実しているか、あるいは不足しているかは
その人の状態でもって、目で確認することができます。

しかし、そのエネルギー自体は、固体でも液体でもありません。




このエネルギーはさまざまな形、形態に加工できるので、
認識して操る方法を学べは、自在に操ることができます。



僕自身、
あるときそのエネルギーの存在に気付き、
         学びを進めているうちの1人です。




普段の生活で

あの人は
「向こうっ気」が強いなどといいますが、それは大体、
相手の表情や言葉づかいを直接受けて、その人の状態を表現している
のではないでしょうか。


表情や言葉遣い荒々しい人は、気が本当に強いでしょうか?

僕が回答するとしたら「それほど強くない」と回答します。


しかし、
そういった人は自分の気持ちや感情を制御するチカラが貧弱な場合が多く、暴力沙汰などに発展すると面倒なことになります。




気のコントロールは充実した精神で行われ、
自在に形態を変えたり、コントロールすることができます。


もしかすると宗派によるのかもしれませんが、
「気」を器用に扱う人は、緩やかな表情の方が多い印象があります。


そして、
ぼくも緩やかな心持ちを心掛け、内面では気を練り、加工し、発動させるタイプです。



リラックスしてゆるやかに過ごしたほうが「気」は自在に発揮、加工できるといえるでしょう。


気の動きを利用して、人を喜ばせたり、笑わせることに役立たせることができます。


僕が楽しんでいる場所が賑わったり,活性化したりすることもあります。




修業道者に突然「祈祷師やれば!」といわれるのは、
こういった世界を扱っている気配を感じたのかも
しれませんね。




※気やエネルギーの話は長くなりそうなので
今回はこのへんで・・・

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